スイ’S LOG

主にセクシャルマイノリティ(アロマンティックやアセクシャル多め)について発信していきます。たまに関係のない思ったことも書きます。

朝からダッシュしている人へ

 毎朝、通勤通学で電車を使う人は東京近郊ならかなりの人数いる。毎日満員で無理に押し合い、カバンが突き刺さったり踏まれたり良いことなど何もないのだが移動の足としてはそれなりにコスパがいいから他の手段が成り代わりにくい。

 

 さて、駅に向かうときにいつも走っている人を見かけないだろうか?月曜日の朝から走り、金曜日まで駅に向かい走り続ける。短距離走の練習でもしているのかと思うほどに。

 

 毎朝走って駅に行くのと5分家を出る時間を早めて駅に行くことのどちらがいいかと言われれば当然後者だ。1日の始めに運動としてではなく電車に間に合うためだけに走るなんて無駄すぎる。そこで体力を大量に使って電車で休憩ってそこまでして走る意味あります?

 

 ほんの少し早く家を出れば歩きながら色々なことを考えることも出来る。例えば仕事の困りごと、英単語の復習、週末のことを考えることだってゆっくりできる。なによりダッシュしなくていいから体力を温存できる。これから乗る満員電車への(笑)

 

 毎日ギリギリの時間で生活している人が仕事ができそうな印象を持つこともない。毎朝走る人を見て、どうせ仕事もギリギリでやってて大した成果も出せないんだろうなと勝手ながら思うものだ。というか、ギリギリの電車にしか乗れない人と仕事をしたくない。その人が来る来ないに無駄に振り回されそうだ。

 

 なにか大切な約束があるときは必ず30分前には着くようにするはずなのに日々の仕事や学校はどうでもいいのかという話でもある。個人的な意見だが、通常の出勤で電車が遅延したわけでもなくギリギリに来る人に出世や大役を任せられることはない。時間の効率的な使い方が出来ていないから余裕を持って業務に取り組めないし、本来なら要らない遅刻連絡をするのだ。不必要なことを積み重ねると必要なことは何一つできない。当然のことだ。

 

別に朝ゆっくり歩いて駅に向かったところで何かが大きく変わることはないだろう。それでも、走っていたらできないことはできる。その僅かな時間を積み上げて成果につなげることができればそれで十分に意味が生まれる。

 朝5分のゆとりをもって動くことで平穏に焦ることなく生きていこう