スイ’S LOG

主にセクシャルマイノリティ(アロマンティックやアセクシャル多め)について発信していきます。たまに関係のない思ったことも書きます。

アロマンティックやアセクシャルなどのセクシャルマイノリティの自認は難しい

 私は、アロマンティックもアセクシャルも意味を知ったと同時にすんなりと自認することができました。それはやはり過去の経験によるものが大きかったなと思います。

 過去の経験についてはこちらに簡単に書いてあります。

 

suilog.hatenablog.jp

 

 アロマンティックの方は誰かと付き合ったことがなければ、「恋をできるような人と出会っていないだけではないか」と考えがちだと思います。そして周囲にそのことを相談すると大抵「まだ出会ってないだけだよ~これからこれから」みたいな無責任な言葉が返ってくると思います。この辺りにアロマンティックの認知度の低さが見えますね。

 

 私が思うアロマンティックは、誰かを特別扱いすることはあれど、その人に対する好きという感情は他の誰とも同じ”です。私の特別扱いというのは、誕生日を祝ったりだとか遊びに行くときに相手が好きそうな場所を提案したりだとかかなり相手を気遣った対応になります。この特別扱いというのは人それぞれあると思います。例えば、誕生日を知っている人は全員祝うけれどプレゼントに差があるとかそういうことです。

 

 アロマンティックは誰に対しても好きという感情は同じではないか?と思うことで自認しやすいのですが、問題はアセクシャルです。

 性嫌悪が明らかにあったり体を求められたときに好きな相手でも嫌な気分になったり、興味ないなと単純に思えたら楽なのですが、実際はそうはいきません。

 性嫌悪がある人は私の知る限りではかなり少ないですし、体の関係を求められるまでの関係性になるまでの道のりも案外遠かったりします。そもそもアロマンティックで恋人を求めないからそういう経験に縁がなかなかないという人もいます。

 

 そこで私が思うのははっきりしないならはっきりしないままでいい”ということです。LGBTにはエスチョニング』という自認がはっきりしないという分類もあります

 自分はアロマンティックだと思っていたけれど、実際はデミロマンティックだったとかそういうこともよくある話です。自認をして自分はこういう生き方だ、こんな人間ですとはっきり決めれればそれが安心できるし、楽でいいとは思うのですが実際そんな簡単なことではないですよね。他人に持つ感情というものは些細な出来事一つで変わるものです。

 なので、自分はアロマンティックだ、アセクシャルだと完璧に決めつけずにそういった傾向がある程度に留めておいてもいいと思います。もしかしたらその方が悩みが少し軽くなるかもしれません。自分はこうなんだと決めつけてしまうとそれにひっぱられてしまうということもよくある話ですので。

 

 LGBTは大抵の場合異性にしろ同性にしろ相手がいます。そしてその相手に恋心であるとか性的欲求というものを抱きます。それが自分の中にないとなると友人との恋愛話に興味が持てずに曖昧に返すしかなくなったりしてしまいます。

 だからこそ、私はアロマンティックっぽいとかアセクシャルっぽいとかはっきりしないけどそうかもと偏見を持ちそうにない人がいれば、伝えてみれば楽になるかもしれません。それはネット上でもいいです。

 

 Twitterなどを見てみると、私自身もそうですがプロフィールの欄にAロマとかAセクとか書いてある方を結構見かけます。そういった方に勇気をもってDMでも共感したツイートにリプライでも(私の場合はRTしていただいたらツイートを見に行きます)少し声をかけてみることで何がきっかけで自認したとかこういう苦労があったとか参考になったり共感できるお話が聴けるかもしれません。そこからさらに同じセクシャルマイノリティの人達との交流が始まっていくかもしれません。

 

 大切なのは初めの一歩です。それだけで何かしらが変わってくると思います。その一歩は数あるセクシャルマイノリティを調べてみるでもいいし、このブログにコメントをいただいてもTwitterで私やAロマ・Aセクについて発信している人にリプやDMを送ってみることでもいいです。

 動くことでしかしれない世界があります私の第一歩は徹底的に調べることでした。そこからこうやってブログを書いたり身近な人に打ち明ける勇気を持てたりしています。アロマンティックやアセクシャルで悩んでいるなら色々話を聞いてみると自分と似通ったものが見つかり、自認がしやすくなるかもしれません。とにかく動いてみることです。

 

 まだまだ一般的なLGBに比べて特にアロマンティックは情報が少ないですが、私はこれからもまだ発信していきます。その中でロマンティックの人やセクシャルの人(世間一般と呼ばれる人達)に認知が広がればいいと思っているし、悩んでいる人の小さな支えになればなとも思っています。