スイ’S LOG

主にセクシャルマイノリティ(アロマンティックやアセクシャル多め)について発信していきます。たまに関係のない思ったことも書きます。

LGBTやアセクシャル、アロマンティックで悩んでいる人は多い?

 先日、こちらの恋愛主義の世の中について少しだけ触れ、ほぼアセクシャルやアロマンティックの解説になってしまった記事。こちらが個人比でかなりの数読まれています。

 

suilog.hatenablog.jp

  これが読まれているということは、やはり悩んでいる人が多いからということではないかなと思います。

 私は特に悩まず、こういうものがあると知った時に「あ、自分に当てはまるな」とストンと違和感を抱くことなくアロマンティック・アセクシャルを自覚しました。過去の経験と照らし合わせることができたのも大きいかもしれません。

 

 一応高校時代にちゃんとした告白(いわゆる「好きです。付き合ってください」的なやつ)をせずにノリで付き合い始めた恋愛経験があります。これは高校卒業と同時に私のメンタルの不安定(自分とこれ以上付き合っていても相手は幸せになれないという勝手な決めつけ)とともに終わりを告げるのですが…

 

 しかし、この話続きがあって実は、お互いがアロマンティック・アセクシャルであることが後に判明しました。今になって振り返れば、学校が違っていたけれどお互いに何を求めるでもなく他愛ない雑談のような連絡を取り合い、一緒にいるときは無言でよくいたりとおそらく世間の描くような恋愛はしていませんでした

 

 そのため気がつかなかったのです。世間の恋愛と自分たちの思っている恋愛というものが異なっていることに。アロマンティックやアセクシャルという概念を知って当時を振り返りながらお互いに話しあってみたら同じようなことを思っていたのです。

 相手には特に何も求めず、存在を感じる距離にいてくれればそれでいいとお互いに思っていました。それだけでよかったのです。別に目の前にいてもスマホでゲームをしていてもいいし、何か思ったことがあれば話せばいい。それがお互いにぴったりの距離でした。

 

 私のようなケースは稀なことだと思います。別れてから相手の誕生日を一ヶ月遅れで思い出してお祝いの連絡を入れ、それから色々と話して分かったことです。付き合っていた当時はアロマンティックはおろかアセクシャルすら聞いたことはあるかな程度でした。そして、それらに自分が該当するとは露ほども疑っていませんでした。世間一般といわれるロマンティック・セクシャルだと思っていました。

 

 私個人的には世間でいうような恋人は一切求めません。それでも生きるうえでのパートナーは欲しいなと思います

 そのパートナーに求めることは無言でいても居心地がよく、互いに自由に行動して食事を一緒に食べるということだけ。書くと簡単だけれど実際にこれに合うような人は滅多にいません。

 もしかしたらアロマンティック・アセクシャルの人達が集まる機会があってそこで意気投合すればあるのかもしれませんが、普通に暮らしているとまず会わないかなと思います。そもそもアロマンティックの認知度が低いので恋愛感情がないということを自覚せずに世間の恋愛が何となく肌に合わないなと感じている人もいると思います。そういう人ももしかしたらアロマンティックやアセクシャルかもしれません。

 

 世間一般の圧力はやはり強いです。数の力にはどう足掻いても一庶民では敵いません。それでも愛している人がいれば、どういうことを相手に求めているかを伝えたほうがいいと思います。私達は求めるものを伝えあっていればおそらく今も別れることはなかったと思いますし、今から復縁しようとおもえば可能だよねという話もしました。

 

 アロマンティックで恋愛がわからないという人は、一緒にいて居心地がいいと思える人に私がパートナーに求めるようなもののようなことを伝えてみてもいいと思います。相手がアロマンティックではない可能性が高いので理解されないこともあるかもしれませんが、おそらく居心地がよく長く一緒にいる人ならばある程度の理解はもらえると思います。

 

 LGBTなどのセクシャルマイノリティ知名度は上がってきているものの理解度はまだまだではないかなと思います。マイノリティであるからこその悩みはあると思います。その悩みは人それぞれですが、マイノリティ同士ならば共感できることもあります。身近に同じセクシャルマイノリティの人がいれば話してみるといいと思います。一人じゃないとわかるからこそ安心できることもあるし、考え方の違いから悩みが解決に近づくかもしれません。(悪い方向に行くこともあるかもしれませんが)

 やらない後悔よりもやる後悔のほうが圧倒的に良いです。私達は伝えるということをしなかったからこそ互いに嫌うことも嫌な箇所があるわけでもなく、最適距離のパートナーを失いましたから。

 

 マイノリティであるからこそ理解されづらく、悩みやすいと思います。そこで立ち止まらず怖いけれど一歩を踏み出してみましょう。その一歩がどうなるかはわかりませんが必ず現実は良いほうにも悪いほうにもどちらにでも動きます。そうやって動きながら理解を得ていくことが大切になるのではないかなと私は思います。