スイ’S LOG

主にセクシャルマイノリティ(アロマンティックやアセクシャル多め)について発信していきます。たまに関係のない思ったことも書きます。

恋愛至上主義の世の中が気持ち悪い

 昨今LGBTが主張され、わずかではありますが浸透してきた感じがあります。けれどLGBTって本当はもっとあってLGBTTQQIAAPというほどあるのです。これについてそれぞれ説明したいわけではないので知りたい方は以下の記事をご参照ください。

jibun-rashiku.jp

 

 今回詳しくお話したいのはLGBTTQQIAAPの中の一つ目のA、アセクシャル(Asexual)についてです。これは私自身が該当しますし、タイトルに絡んでくるものなので説明します。

 

 アセクシャル(Asexual)とは性的志向が異性にも同性にも向かない人です。これについては近年ノンセクとか言われたりして認知が広がってきたのかなと思います。

 ただ、それ以上に認知をしてほしいと思っていることがアロマンティック(Aromantic)です。日本ではアセクシャルの中にアロマンティックを内包していることもあるのですが、全くの別物なので解説します。

 

 アロマンティック(Aromantic)とは、恋愛感情を抱かない人です。そのため恋をするという感覚がよくわかりません。異性に抱く好きも同性に抱く好きも同じなのです。これだけ聞くと、恋愛経験がないとかバイセクシャルといわれそうですが、そうではないのです。

 恋愛映画や恋愛ドラマのようなトキメキとでも呼ばれるのでしょうか。そういうものがないのです。私自身がアロマンティックなので映画やドラマでさえよくいうキュンとするみたいなことがわからないのです。

 

 そしてアロマンティックを説明するうえで大切なのが性的志向は他者に向くということです。アロマンティックが持ち合わせないのは恋愛感情であって性的欲求ではありません。

 

 ここでアセクシャルとアロマンティックの違いを明確にしておきます。アセクシャル性的志向は誰にも向かないけど恋はします。そして、アロマンティックは恋はしないけど性的志向は他者にむきます。ここは入り混じらないように理解していただきたいです。

 

 ここからようやく私自身の話に入ります。私はアロマンティック・アセクシャルです。つまり恋愛感情をもたなければ性的欲求もないということになります。そのため女性とご飯に誘ってもそれが端から見ればデートに誘ってるように見えても、個人的にはその人自身に興味をもって話してみたいと思って誘っています。そのため世論が「男女の友情はありえない。必ず恋愛感情が入る」みたいになっていることが嫌になります

 

 私は男女の友情は成立すると思っています。もしかしたら今までの交友関係の中で私が気が付いていないだけで相手が恋愛感情を抱いていてくれたこともあったかもしれません。けれど、恋愛的アプローチをされても一切わからないので直接言われる等知る機会がない限り友達から一切関係は変わりません。

 時間が経つにつれて暖簾に腕押し状態の恋愛は忘れ、恋愛感情は持たないけど仲のいい異性の友人という枠に次第に収まるのではと思います。私自身は元から友達という認識でそれ以上でもそれ以下でもないのが普通なので、こうして男女の友情が成り立つのだと思っています。

 

 それなのに男女が二人で会えば気があるのかとかすぐに言われる世の中が正直嫌いです。あと、恋愛してない人は底辺みたいな風潮もものすごく嫌いです。恋愛で物事を測るようなもの世論が気持ち悪いとまで思います。

 

 恋愛をするもしないも自由。誰を好きになるかも自由。そのはずなのに必ず男は女を好きになり、女は男を好きになる。このような暗黙のルールが未だにある気がします。学術的に研究もされていますし、そういう偏見のようなものがなくなればいいと思っています。

 そして、人間関係の何かを語るときに一般的な恋愛が前提となっている現状が、恋愛そのものがわからない人間がいるということも頭の片隅に入れて語ってほしいものです。(恋愛について語るときは自由に恋愛について語ってくださいね)

 

 なんだか書いていると説明ばかりで思ってたのとちょっと違う形になってしまったのでまたこの話題については触れようと思います。

2020/07/04追記:想像以上に読んでいただけていてセクシャルマイノリティの方達の悩みの解決の助けに少しでもなればと思い、記事を一つ書きました。

 

suilog.hatenablog.jp